2012年01月21日
初ハーフ挑戦『横田フロストバイトハーフマラソン』
遡ること昨年10月。
学生のころから毎年申し込んでいても落選ばかりだった、
東京マラソンに初当選!
でも長距離は苦手、かつ性格上大会などがない限りは練習しないがわかっているので、
12月に富士スピードウェイでの10kmのレースをはさみ、人生初のハーフマラソン挑戦。
事前準備はサッカーをしている以外は、ほぼやっていなかったのでぶっつけ本番だったが、
まあなんとかなるさといういつものノリ。
http://www.yokotastriders.com/www.yokotastriders.com/furosutobaito.html
この大会は全員で10,000人近くの人が集まるほどの人気もあるのだけども、
その要因はユニークなコース。横田米軍基地内を走る。
中に入るにはパスポート等身分証明するものを持って行く必要があり、
入門ゲートでは軍人さんやその関連する外国人の方が、
ボディチェックをするので、まるで外国の空港の入国検査のような感じ。
受付も外国人の方が多く、
基地中にはランナー約10,000人(ハーフマラソン5,000人強、その他は5kmの部等)、
及びその同伴者(ただし、セキュリティの関係上同伴者1名まで)で大賑わい。
トイレはかなりの数の仮設トイレを設置してあるものの、大混雑。
その混雑に多分に漏れず巻き込まれ、ほぼまともにアップせずにスタート位置へ。
マラソン大会恒例なのか、富士でのレースに続いて仮装している人が多い。
その種類もドラゴンボール、侍、仮面ライダー、マイメロ等々、
走ったら大変そうな恰好ばっかり。
ハーフだけでも5,000人強もの人数なのでスタート時は大混雑なのでまともに走り出せないものの、
ものすごいギャラリーの声援の中で送り出される感覚は気持ちよかった。
コースもさすが米軍基地ならではであり、
構内をkmほど走ると、戦闘機等が待機している滑走路に出て、
機体を横目に滑走路の脇を端から端まで走る。
コースの横や給水場には米軍の方がおり、応援の仕方もアメリカっぽく、
『GOOD JOB!!』等と連呼して応援してくれた。
そんなコースの中をアフロに仮装して、
イラスト帳に『I will Back!』『みんな頑張りましょう!』等、
コメントを書いて、外国人やランナーの笑いを誘っていた方とともに、
当初の予定通り、5分/kmペースで前半は走る。
意外といけそうだと思いながら10kmをすぎた途端、
足が急に棒のようになり、なかなか前に進まなくなる。
いつも10kmまでは走るものの、それ以上の距離は人生初。
完全になめてました。
あっという間にアフロの兄ちゃんに置いて行かれ、あとは一人で辛抱の時間。
屈伸して足を治そうにも足がなかなか曲がらず、体にも異常が出てきたのか、手が異常に冷たくなる。
かなりの人数に追い抜かれながらも、給水場で差し出されたオレンジを必死に食べながら、
ひたすらゴールを目指す。この時おそらくペースは6分/kmペースまで落ちていた。
なんとか滑走路を往復し、構内まで戻ってきたところで、
また応援の方が増え、応援してくれる中、もう歩いても変わらないんじゃないかというペースだったけど、
完走(全部走る)ということを目標に歯を食いしばり、最後は大声援の中でゴール。
心肺が疲れたというよりも、足の耐久力だなと実感。
ゴール直後にあったバナナ数千本とオレンジ数千個の山にかぶりつく。
人生で食べたバナナの中で一番美味しかった気がする。
結果は1時間55分56秒。
最低目標だった2時間を切ることはできたけども、
フルマラソンはこの倍かと考えるとさすがにノリではやばいなと実感。。。
それでも初めて本格的なマラソン大会に参加してみて、
多くの方が自分の関係者かどうかなど関係なく、みんなで応援しあい、
支えあっている姿を見れたことは良い経験でした。
東京マラソンは完走できるかどうかは非常に不安だけども、
今回の規模の4~5倍以上の規模の大会であり、改めて楽しみになった。
次は東京マラソン前に1/29にマラソン初挑戦予定。
走り切れる気がしないが、まだまだ若いはずだと自分に言い聞かせて頑張ります。
2011年03月21日
被災地への帰省
2011年3月11日14時46分 東日本大震災発生。
30Fのオフィスで出張準備に励んでいたところ大きな揺れ。
嫌な予感がして携帯をすぐチェックしたところ、
やはり懸念していた宮城での大震災。
何年も前からもうすぐ発生すると何度も言われていたが、
実際に起こるわけはないと油断していて何も準備していなかった。
実家や家族とは連絡が取れず、
東京でも火災や交通マヒによる人の波等異常事態。
仕事に集中しようにもほかならぬ地元での災害であり、
仕事にならず周りへ迷惑をかけてしまっていた。
必死に階段を降り、家でも何度も連絡。
ようやく夜に家族、実家と連絡を取れるも、
ニュースで流れるのは思い出がある街、海岸の変わり果てた姿。
実家は津波被害範囲から数キロしか離れておらず、
無事との連絡を受けていたものの、自分の目で見ないことには安心できなかった。
また、食糧不足で困っているとの連絡。
仕事に集中できるような気持ではなかったが、
幸い上司の配慮のもと、
日曜深夜にスーパーやコンビニを回って大量の食糧を確保し、
月曜日朝から仙台へ。
仙台―東京間の交通はマヒしてしまっていたが、
幸い同日より新潟から山形経由のバスは再開しており、
新潟まで新幹線で仙台へ。
新潟の街は地震などなかったかのように平和であり、
山形はガソリンは在庫切れになっていたものの、
食糧は十分にある様子。
しかし道路は宮城方面の車は空いている一方で、
県外脱出の車はけっこう多く不安が募る。
宮城に入ると山沿いの街や温泉街は電気がついておらず、
まるで人が住んでいないかのよう。
街中もいつもはタクシーや車であふれかえっている街の姿はどこにもない、
夜明けの街のようだったことに加え、ところどころ被害があり、立ち入り禁止区域も見られた。
なかなか来ないタクシーに乗り、所々陥没した道を通って実家へ。
実家へ到着すると幸いにもまるでキャンプ生活を楽しんでいるかのような家族の姿。
幸運にも当日の早朝から末っ子がスーパーに並び、
食糧をけっこう確保できており、東京からの生活物資も伴って当面は大丈夫になり、
わずかながら安心した余裕からか。
ガス、電気は止まっていたものの、幸い水だけは通常通りであり、
ガスを木炭やストーブであっためて、水で割り、
寒いので暗闇の中、ロウソクの光の下、台所で頭を洗い、体を拭く。
夜11時ごろに電気が回復し、思わず弟と叫ぶ!
明るい中で食糧が確保できていたことを改めて確認し、ほっと一安心。
翌日に高校生のころからお世話になっている、
知人の母親のところへ食糧を届けに。
おそらく知人の気持からははるかに少ない食糧しか持っていけず、
ものすごく心苦しかったが、それでも母親はうれしさのあまり泣いていた。
その後知人からも御礼の連絡。
実家の食糧を削ることはできないと思いつつも、
正直もっとできたのではないかという思いもありつつ、
複雑な気持ちだった。
また、友人のところにお手伝いへ。
食糧確保に困っているとのことで、たまたま空いていたスーパーで食糧確保し届けた。
マンションはひびが入ったり、コンクリートがはがれている箇所があったりと、
ダメージが多く残っていたが、無事な姿を確認でき一安心。
翌日は弟と木炭で肉なしカレー作り。
意外となんとかなるものだ。
その日から東京仙台間のバスが再開し、
高速道路を速度制限の中で8時間かけて東京へ。
やはり東京は平和だなと感じ、仙台も早くいつもの姿に戻ってほしいなと願う。
多くの友人はまだまだ不便な生活を送っていて、
悲しいことや苦しいことばかりであると思う。
我が家も同じようにこれからまだまだ不便ではあるが、
幸い家族には最悪の事態はまのがれられ、
また、不謹慎ながらも、今回の震災で自分及び家族に限っては得られるものが多かったと感じる。
日頃の生活がどれだけ恵まれているのか、
自分ができることはなにか、それをいつも意識しているのか、
責任感を持って生きているのか、支えてくれている人に感謝しているのか。
時間が経ち、元の姿に戻ったら自然と忘れてしまうかもしれないが、
せめて無意識的にでもできるように、今できることから始めたい。
2010年06月11日
出発
明日ちょっと南アフリカまでサッカー観に行ってきます。
日本代表の試合を2試合、コートジボワール対ブラジル、コートジボワール対ポルトガルの4試合を観てきます!
初アフリカ。
ブブセラと歴史を感じてきます。
2010年04月03日
1年
卒業し、会社に入って早くも一年。
後輩が寮に入ってきて、いよいよ2年目だなと感じた。
先週友人たちと共にソサイチ(7人制サッカー)に参加。
メンバーは大学サッカー部の仲間たち、たまたまイギリスから来ていた親友、最後の学会で知り合った台湾の友達。
みんなほぼ1年ぶりだけれど居心地が良い空間。
自分の落ち着く場所、みんなで1つの目標に向かってやる場所としては、あの雰囲気が一番合っているんだと実感。
今はばらばらだけど、でも集まれば何年たってもあの頃のように笑える。今後も大事にしていきたい。サッカーができる限り、このメンバーでたまにはボールを蹴りたい。
偶然では合ったが、
一年の最後の週末に彼らと再会できて良かった。
2年目。
また苦しいこともあるだろうけれど、
自分の原点や自分らしさを忘れず、成長していけるように。
後輩が寮に入ってきて、いよいよ2年目だなと感じた。
先週友人たちと共にソサイチ(7人制サッカー)に参加。
メンバーは大学サッカー部の仲間たち、たまたまイギリスから来ていた親友、最後の学会で知り合った台湾の友達。
みんなほぼ1年ぶりだけれど居心地が良い空間。
自分の落ち着く場所、みんなで1つの目標に向かってやる場所としては、あの雰囲気が一番合っているんだと実感。
今はばらばらだけど、でも集まれば何年たってもあの頃のように笑える。今後も大事にしていきたい。サッカーができる限り、このメンバーでたまにはボールを蹴りたい。
偶然では合ったが、
一年の最後の週末に彼らと再会できて良かった。
2年目。
また苦しいこともあるだろうけれど、
自分の原点や自分らしさを忘れず、成長していけるように。
2010年02月28日
初海外出張
初海外出張として、2泊3日で一人で客先に行ってきた。
アジア圏に行くのは初めて。
今まで英語圏やらヨーロッパ圏ならなんとかわかるものの、
一番困ったのが文字。日本語or英語のメニューはあるんだけれども。
感想としてはビジネスというよりも、
お客さんととことん一緒に過ごし、仲良くなった2泊だったと感じる。
お客さんにとっても同じだったと思う。
信頼関係は作れたと感じた。
次はビジネスを創れるかどうか。
自分で仕組みを創る。商社マンらしさと学生の時に憧れていた段階に、
いよいよ自分も最初の一歩を踏み出せる。
2010年02月21日
約1年
研究室を卒業して、約一年。
振り返れば苦しく、しんどく、周りが見えなくなったこともあった。
自分の存在価値に悩み、自信も情熱も全て無くなってしまった。
一歩先も見えない感覚。
周りに迷惑をかけ、心配された。
なにかできるはず。そう思っていたのになにもできない。
『どんなに想像しても入ってからはそれ以上だ。』
その言葉を今となっては理解できる。
きつかった日々もいつの間にか、
なにがきっかけかもわからないが、
今は違うと感じる。
一歩先も見えない感覚から三歩先まで見ようとする感覚になり、
さらに先も考える余裕も出てきた。
生活リズムもやっとうまくでき、
いろんなことに挑戦したいと思えてきた。
これが成長なのだなと改めて実感。
今週いよいよ初海外出張。
このお客さんはビジネスを最初から自分の手で創ってきたお客さん。
上司いわく、こんな経験は一生に一度あるかどうかなのだとか。
それを一年目から経験できたのは、
これだけ全てをやらせてくれ、自由にやらせてくれる職場に感謝。
少しずつ自信がつき、無くしていた情熱も少しずつ取り戻せてきた。
自分らしく。
自分らしさはうまく表現できないが、
自分にはこれしかできないのだと思う。
相手も自分も笑顔に、そして幸せに。
2009年08月23日
2009夏休み『Madrid』
2009夏休み『Barcelona』
7月17日
熱を出してしまい、大事を取って午前中は寝てる。
もったいない・・・
午後はなんとか頑張って外へ。

ホテルの横は世界遺産でもある、サン・パウ病院。

そこから一路、世界遺産のサグラダ・ファミリアへ。



未だに工事中。
しかし、外観は不思議。これを100年以上も前から作り、今でも作っている。中はまだ工事中。完成度はモンサンミシェルのほうが高く、
そちらのほうが好きかなという印象。
その後サッカーの聖地でもある、カンプノウへ。
サッカーのある季節にまた来たい。
街中にバルセロナのユニフォームを着て歩く人が多く、
愛されているチームだということを改めて実感。

最後に地中海!


体に鞭を打ちつつもビーチへ。
ビーチではバレー、サッカーをしていたり。
めちゃくちゃうまかった。
ヌーディストビーチじゃないのにあまり気にしない人もいて、
この辺がヨーロッパ的感覚なのかなと思ったり。

次に市場へ。豚が丸焼きで売られていたり、
様々な魚介類が多く売っていた。いつか紙袋片手に市場で買い物をするのがやっぱり夢です。
最後にパエリア。

具合悪いときには良い食べ物でした。
バルセロナ、良い街です。
サッカー選手の多くがここでの生活を好むのも納得。
熱を出してしまい、大事を取って午前中は寝てる。
もったいない・・・
午後はなんとか頑張って外へ。
ホテルの横は世界遺産でもある、サン・パウ病院。
そこから一路、世界遺産のサグラダ・ファミリアへ。
未だに工事中。
しかし、外観は不思議。これを100年以上も前から作り、今でも作っている。中はまだ工事中。完成度はモンサンミシェルのほうが高く、
そちらのほうが好きかなという印象。
その後サッカーの聖地でもある、カンプノウへ。
サッカーのある季節にまた来たい。
街中にバルセロナのユニフォームを着て歩く人が多く、
愛されているチームだということを改めて実感。
最後に地中海!
体に鞭を打ちつつもビーチへ。
ビーチではバレー、サッカーをしていたり。
めちゃくちゃうまかった。
ヌーディストビーチじゃないのにあまり気にしない人もいて、
この辺がヨーロッパ的感覚なのかなと思ったり。
次に市場へ。豚が丸焼きで売られていたり、
様々な魚介類が多く売っていた。いつか紙袋片手に市場で買い物をするのがやっぱり夢です。
最後にパエリア。
具合悪いときには良い食べ物でした。
バルセロナ、良い街です。
サッカー選手の多くがここでの生活を好むのも納得。
2009夏休み『France』
7月13日
ユーロスターに乗るため駅へ。
フレキシブルなセカンドクラスのチケットよりも、
時間指定のファーストクラスのほうが安いということで、
ファーストクラスに乗り込みパリへ。

リッチな気分で移動。
到着後まずホテルへ。

ホテルの近くにあるモンマルトルの丘へ移動。
しかし治安が若干悪く、変な街でもある。
変な日本語で話しかけられつつ、目的地へ。

ここの丘の影がかかるのがパリっ子なんだそうな。

近くに絵画を描いてくれる場所を見て帰る。
疲れたのか、19時に就寝。
7月14日
世界遺産であるモンサンミッシエルに行こうとするも寝坊。
駅で行きたいと伝えるも、遠いから無理だと言われ、
次の日に延期。代わりに市内観光。
世界史をやっていないのでわからなかったが、
その日は革命記念日。
街中がお祝いムード。


街の中を兵隊がパレードする。
その人ごみを抜けてオペラ・ガルニエへ。
観れたら良いなあと思いながら、英語で交渉してみると手ごろな値段で良い場所のチケットを購入。



ミュージカルに継ぎ、オペラも鑑賞。
バレェ団が音楽に載せて劇を行うもの。
初体験。会場の豪華さで気分はセレブ。

再び街を歩き、エッフェル塔へ。
革命記念日の記念式典のため上れず。
それにしてもふもとでエッフェル塔の模型を売りつけてくる外国人が多い。それを買う人も買う人だけど。

次に凱旋門!
同様の理由で上れないが、凱旋門の中に国旗があるときに来れたのはラッキー。
そのままシャンゼリゼ大通りを歩いて中心部へ。
今回見たかったサントシャペルヘ。


壁の7割以上がステンドグラス。
今まで観たステンドグラスで一番綺麗な場所でした。
7月15日
いよいよモンサンミッシェルへ。
迷いながらもなんとか無事に電車に乗り込み、
電車とバスを乗り継いで片道4時間。
念願のモンサンミッシエルへ。

頭の中には弾丸トラベラーの音楽。(LOVE PSYCHEDELICO、FREEDOM)
感動。陸の孤島イメージに近いのはルパンのカリオストロの城。

中に入り細い道を抜けて修道院を目指す。




神秘的な作り。周りは海。
潮の満ち引きで海岸が海の底になり、
昔は巡礼のために渡ろうとする人が犠牲になったそうな。

モンサンミッシェル。今回の旅の一番の楽しみだった場所。
本当に別世界。いつかまた訪れたくなる場所でした。
7月16日
疲れがあるのか、
体調の異変を感じつつも無理やり観光。
まずルーブルへ。


ダビンチコードでもおなじみのピラミッドの中に入り内部へ。



有名な作品を見つつ、目指すはダヴィンチ。


ダヴィンチの作品の前には人だかり。
生モナリザ。左右非対称だとか、天国と地獄だとか、
いろんな話を知りつつ観るとまた感慨深い物がある。
その後、
ノートルダム大聖堂へ。


フランス堪能しました。
EasyJetで移動のため空港へ移動。
体調がさらに悪化し、熱を出す。しかも飛行機遅れる。
苦しみつつ、ふらふらしながら、なんとか次の目的地バルセロナへ。
ユーロスターに乗るため駅へ。
フレキシブルなセカンドクラスのチケットよりも、
時間指定のファーストクラスのほうが安いということで、
ファーストクラスに乗り込みパリへ。
リッチな気分で移動。
到着後まずホテルへ。
ホテルの近くにあるモンマルトルの丘へ移動。
しかし治安が若干悪く、変な街でもある。
変な日本語で話しかけられつつ、目的地へ。
ここの丘の影がかかるのがパリっ子なんだそうな。
近くに絵画を描いてくれる場所を見て帰る。
疲れたのか、19時に就寝。
7月14日
世界遺産であるモンサンミッシエルに行こうとするも寝坊。
駅で行きたいと伝えるも、遠いから無理だと言われ、
次の日に延期。代わりに市内観光。
世界史をやっていないのでわからなかったが、
その日は革命記念日。
街中がお祝いムード。
街の中を兵隊がパレードする。
その人ごみを抜けてオペラ・ガルニエへ。
観れたら良いなあと思いながら、英語で交渉してみると手ごろな値段で良い場所のチケットを購入。
ミュージカルに継ぎ、オペラも鑑賞。
バレェ団が音楽に載せて劇を行うもの。
初体験。会場の豪華さで気分はセレブ。
再び街を歩き、エッフェル塔へ。
革命記念日の記念式典のため上れず。
それにしてもふもとでエッフェル塔の模型を売りつけてくる外国人が多い。それを買う人も買う人だけど。
次に凱旋門!
同様の理由で上れないが、凱旋門の中に国旗があるときに来れたのはラッキー。
そのままシャンゼリゼ大通りを歩いて中心部へ。
今回見たかったサントシャペルヘ。
壁の7割以上がステンドグラス。
今まで観たステンドグラスで一番綺麗な場所でした。
7月15日
いよいよモンサンミッシェルへ。
迷いながらもなんとか無事に電車に乗り込み、
電車とバスを乗り継いで片道4時間。
念願のモンサンミッシエルへ。
頭の中には弾丸トラベラーの音楽。(LOVE PSYCHEDELICO、FREEDOM)
感動。陸の孤島イメージに近いのはルパンのカリオストロの城。
中に入り細い道を抜けて修道院を目指す。
神秘的な作り。周りは海。
潮の満ち引きで海岸が海の底になり、
昔は巡礼のために渡ろうとする人が犠牲になったそうな。
モンサンミッシェル。今回の旅の一番の楽しみだった場所。
本当に別世界。いつかまた訪れたくなる場所でした。
7月16日
疲れがあるのか、
体調の異変を感じつつも無理やり観光。
まずルーブルへ。
ダビンチコードでもおなじみのピラミッドの中に入り内部へ。
有名な作品を見つつ、目指すはダヴィンチ。
ダヴィンチの作品の前には人だかり。
生モナリザ。左右非対称だとか、天国と地獄だとか、
いろんな話を知りつつ観るとまた感慨深い物がある。
その後、
ノートルダム大聖堂へ。
フランス堪能しました。
EasyJetで移動のため空港へ移動。
体調がさらに悪化し、熱を出す。しかも飛行機遅れる。
苦しみつつ、ふらふらしながら、なんとか次の目的地バルセロナへ。
2009夏休み『London』
7月12日

ゆっくり起きてマック片手にLondonへ。
今回ロンドンに戻る理由は2つ。
まず、前回行けなかったミュージカル!
日曜日はほとんどやっていないが、
なんとかライオンキングだけはやっており、立ち見チケットゲット。
時間があったので近くを散歩。


近くの広場で大道芸などを見ながら時間つぶし。
それにしてもこのおばちゃんすごかった。

いよいよ念願のライオンキング。

スーツケースに座りながら観る。
感想としてはミュージカルをなめてました。
内容はアニメで知っているので、
英語が多少わからなくても理解できたが、
それよりも興味があったのはアニメのシーンをどう表現するのか。
本当にすごい。舞台装置を駆使し、体全体を使った演技。
きれいな歌声。一気にミュージカルが好きになりました。
日本に帰ってからも見に行きたい。

その後、もうひとつの目的であるロンドンに出張に来ている上司と駐在員と合流して夕飯を食べるため移動。
中華料理?シンガポール料理?
その中間のような食べ物だったが、鍋が美味しかった。
イギリスの中華料理は初だったけど、美味しかった。
ゆっくり起きてマック片手にLondonへ。
今回ロンドンに戻る理由は2つ。
まず、前回行けなかったミュージカル!
日曜日はほとんどやっていないが、
なんとかライオンキングだけはやっており、立ち見チケットゲット。
時間があったので近くを散歩。
近くの広場で大道芸などを見ながら時間つぶし。
それにしてもこのおばちゃんすごかった。
いよいよ念願のライオンキング。
スーツケースに座りながら観る。
感想としてはミュージカルをなめてました。
内容はアニメで知っているので、
英語が多少わからなくても理解できたが、
それよりも興味があったのはアニメのシーンをどう表現するのか。
本当にすごい。舞台装置を駆使し、体全体を使った演技。
きれいな歌声。一気にミュージカルが好きになりました。
日本に帰ってからも見に行きたい。
その後、もうひとつの目的であるロンドンに出張に来ている上司と駐在員と合流して夕飯を食べるため移動。
中華料理?シンガポール料理?
その中間のような食べ物だったが、鍋が美味しかった。
イギリスの中華料理は初だったけど、美味しかった。


